映画と英語と
生活の中の隙間を見つけて、英語の勉強を始めた。ただ、そのつもりで映画を観ても、いつの間にかストーリーに没頭してしまい、英語の勉強になっていない事がほとんどだ。それなら何度も何度も観ている映画なら、字幕無しで観ていけば、少しはマシなんじゃないかと思い、バック・トゥ・ザ・フューチャー2を字幕無しで連続で2回観た。なぜ2なのかというと、たまたまNetflixで観れたことと、未来の設定が2015年だったからだ。既に今は過去になっているが初めて放送された当時は、子供ながらにこんな未来が待っていると信じていた。車輪の無いキックボード。空を飛ぶタクシー。主人公のマーティ・マクフライに襲いかかるジョーズの立体的な映像。便利なのか便利じゃ無いのかよくわからないファッション。映画を観初めてものの数分で、私は号泣していた。泣きながら理由を探したが、改めて聴く音楽の素晴らしさと、マーティと博士のドクの掛け合いの面白さだろう。この音楽を聴けばすぐにバック・トゥ・ザ・フューチャーだとわかるその喜びからも涙は生まれたと思う。そう、映像が珍しくもなんとも無いこの時代に、映画って素晴らしいよねと実感できる要素が詰まりまくっている。やはり映画には夢があってほしいと思う。私は実はそんな映画を求めている。
これは観なければという映画は瞬く間に現れる。周りの友人が次々に観終わっているジョーカーをこの間ようやく観ることができた。私としてはこの映画を何度も観たいとは思わない。すぐに観たくは無い。観るとしても、数年後とか10年後とか。この映画を思春期に観なくて本当によかった。今でも何か自分に与えるものがあったのかと考えると、奪われるものの方が大きかった気がする。それは気がするというだけで、確実では無いけれど、個人的にはワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの方が好きだった。シャロン・テート殺害事件の前情報があっただけに、最後は号泣していた。やはり映画愛に溢れる映画が大好きらしい。ジョーカーはかなり凄い映画ではあると思うけど、期待して観る映画では無いと思った。それは絶望を描いていたからだと思う。ただ、ジョーカーの心に私は共感できなかった。共感できなかった決定的な理由に、自分の大切な夢を自らあっけなく壊してしまった事が私の中でショックすぎたのだと思う。主人公のアーサーがそこに行きつくまでは相当な時間と相当なショックな事が重なってあの境地に入ってしまったんだと思うけど、やはり人に恐怖を与える存在には共感ができない。でもこの映画は人によってそれぞれ感じるものが違うと思うし、最終的にどこに注目して、どういう意見を持つかは本当に自由だと思う。私はこれがフィクションであることが唯一の映画らしさだと思ったし、その映画の中で不幸なことも幸せなことのように全て妄想であってほしいと思った。映画の中では幸せなことが妄想のように描かれていたけど、全て逆であってほしいと願った。幸せとは何だろうという話になるけど、私たちは自分が望む幸せを映画の中から見つけるのかもしれない。
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